私は、コーチングなるものを知って4か月、学び始めて2か月の先日、名古屋のプロコーチ五十嵐さんから初めてコーチングを受ました。
その私にとって貴重な体験談を書かせていただきます。
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(名古屋のホテルラウンジにて)
コーチ「Y.H.さんはこれから、どのようになられたいのですか?」
私「○○(新コンテンツ)で、世界の人へ調和と繋がりで安らぎを感じられる人生の時間を届けることを実現したいです。」
コーチ「それが実現したら、Y.H.さんはどうなりますか?」
私「うーん・・・ほんっとうに夢が実現したら・・・僕はいなくなってもいいと思っています。」
コーチ「そうですか。それだと、Y.H.さんは幸せを感じられないですよね。」
私「?自分の願いが叶えられれば幸せな気がするのですが・・・」
コーチ「ご自身が幸せになっていない未来は、幸せな未来ではないですよね。その未来のなかでY.H.さんはどこにいますか?」
私「あ。僕の夢が叶った世界なのに、僕自身がまったくいないですね。あれー?(苦笑)」
それでも彼は自分の信念を話します。
私「僕は、たとえばかつてアフリカの人たちが、生まれ育った故郷を失って、これまでの誇りを失うような苦しい思いをしたからこそ、後世にわたってジャズやソウルミュージック、サンバとかの、とてつもなく美しい幸せを世に生み出してきたように、人類の歴史が繰り返してきた苦しみから生まれる新しい幸せに希望を感じているんです。」
コーチはおそらく1秒も間をおかずに言いました。
コーチ「それでは、ジャズを作ってきた人たちは、そのとき苦しい気持ちで演奏していたのでしょうか?」
私「えーと、あっ、違いますね。心から楽しんでいたと思います。あーそうか・・・」
コーチ「人の幸せのために自分を犠牲にするのではなくて、まずご自身が、その届けたい幸せの体現者にならないと、他人に幸せを届けることって、出来なくはないですか?」
私「あーそうですね。本当ですね。僕自身が幸せになっても良かったんですね。」
コーチ「まずY.H.さんご自身が、その幸せの体現者になることが良いんじゃないでしょうか。」
私「ああ、そうですね。世界に届けたいというその調和や繋がりで安らぎを感じたいというのは、僕自身こそが求めていたもののように思います。自分がそうなってもいいんですね・・・ 自分がその幸せの体現者になります!」
そのあともコーチ五十嵐さんは、1年後の目標設定やイメージングなど、彼の意思を確認しながら丁寧にしてくれました。
(エピソード・完)
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私はこれまで、理想の未来を描くとき、当たり前ともいえる「自分が幸せを実感できる」未来をイメージしてきませんでした。
私は今から25年以上前、まだ子供だった頃に、たくさんの友達に囲まれて大好きで幸せだった故郷での日々、そこから未来に続くはずだった人生を、ある理由ですべて捨て去らなければいけなかった。
そしてその体裁を守るために、その苦しみを表に出すことはありませんでした。。
そんな子どもの頃の体験以来、私の心には無意識に、、 「僕は他の人のように幸せになる資格はない。」 「僕は幸せな場所にいてはいけない。立ち去らなければならない。」 という自己暗示の回路が回り続けていた。。
それでも無意識の中いっぽうで、「本当は、ぼくだって幸せになりたいんだ!」という心の奥底の思いを、代りに自分の生きる世界に投影しようしてきたんですね。
実際にコーチングを受けるまでは、これほど自分の生き方、人生に大きな変化を与えるものと想像できませんでした。
五十嵐さんのコーチングを受けてから、そんな私の心はこれまでの重苦しい思いから、スッキリ解放されて、以来、子ども時代から長い間たちはしたけれど、再び、自らの幸せな人生を歩き始めました。